「パンズ・ラビリンス」(ギレルモ・デル・トロ)
島根県民会館でもう30年以上も続いているホール上映企画「名画劇場」で。
ファンタジーを支える想像力は苛烈な現実とけっして切り離すことができないと教えてくれる――否、切り離してはならないのだと突きつけてくる、その認識に居ずまいを正される秀作。その認識に立つことで、あの白い花の意味が深くこちらの胸に差し込んできます。
とうぜんヴィクトル・エリセの神品「ミツバチのささやき」を想起せざるを得ない筋立てですが、本作はハリポタ的ファンタジー映画を擬装しつつ、うかうかと釣られた観客をひとまとめに地獄(現実)へたたき落としてやろうという意地悪さに彩られているようにも思えました。(そう考えている時点で、飛はなんともお気楽な阿呆だということになるのですが。)
……へえ、「火垂るの墓」の影響もあるのか。それは気がつきませんでしたが、なるほど。
「電脳コイル (ロマンアルバム)」(徳間書店)
磯光雄監督とのQ&A、そのNo.10(99ページ)を読んで驚愕。
私が自分で考えた造語に「雌型の実在」というものがあります。
それがどのようなものか、ぜひ本書をご覧ください。
飛は「蜘蛛の王」(『ラギッド・ガール』295ページ)で「実存の雌型」というコトバを使っているとおり、この感覚がとても(まるで自分の考えであるかのように、といったら思い上がりでしょうが)よく判ります。飛が不器用に小説を書き連ねてあぶりだそうとしている「あの感じ」を、さらっと的確に表現しておられて、感服。
新作「はるかな響き」もまさに「これ」を主題にしていたのでした。