メモ

書きかけでほっぽってあったメモ。

伊藤計劃『ハーモニー』について。
以下は初読後のメモ。まだ読み返していないので。
立場上、国内SFのレビューは年末以前には発表しないことにしていますが、これはただのメモであって、レビューではありません。
読み間違いは沢山あると思います。コメントは歓迎します。

 かつて文学は、リッチなスタンドアロンたる「人間」を描くものだった。
 しかし伊藤計劃の『ハーモニー』以後、この見解は少なからず修正を迫られるだろう。この作品で、演算能力とアプリケーションとストレージの大半をクラウドに明け渡した「シン・クライアントとしてのヒト」がはじめて――と同時に極限まで――描かれてしまったからには。
 ヒトが、ネットワークのクライアントであることに価値をみとめられ尊ばれる世界。本書で描かれる高度保健福祉社会の様相は、奇妙なくらい企業内LANに似ている。ヒトはリソースとして尊ばれ、約束事を遵守することで尊ばれ、己を損なわないことによって尊ばれて、堅固なセキュリティに――文字どおりの〈アンチ・ウィルス〉に――浴することができる。そうしてある日、とあるチキンなシステム管理者が、へぼいセキュリティ・アップデートをすべての端末に一斉にかける――ひとまずこれはその経緯を記した小説として読むことができる。経緯を記した人物、霧慧トァンの一人称をかりて「シンクライアントとしてのヒト」――いやさ、「ブラウザとしてのヒト」の内部で何が生起するのかを、克明に描き抜いた小説として読むことができる。
 どのような理由で伊藤計劃がetmlを採用したかは知らない。どんなつもりであんな結末をつけたのかも知らない。(敢えて言うが、私は『ハーモニー』をマスターピースだと思っているわけではない。)
 しかし――作者の意図がどうであれ――そうするのだと決め、このように書き抜いたことによって『ハーモニー』はたんにジャンルの傑作であることを越え、どえらく長いリーチを獲得したと思う。なんならそれを文学の新しい地平と言ったっていい。

これ以降はまだプラズマ状態。
どうでもいいけど、ミァハって、黒「よつば」だよね。

ぐぐる君問題

えー、飛のなかでは『ハーモニー』と連想関係にあるGoogleブック検索問題ですが、先日来言及していました新城カズマ氏のブログで、いちよーのまとめが発表されております。礼賛系批判系の二日間コース。前フリとして西洋近代法体系のふたつの源流から解き明かしたりするなど、知的興奮満載の内容です。
デジカメが出回りはじめたとき、あるいはマルチメディアなCD-ROM版百科事典を入手したとき、情報をデジタイズすることの意味と快感を大衆が理解したとして、『ラギッド・ガール』に書いた「世界を右クリックする」欲望がその頃から大きな奔流となったと思っています。本を読んでいて、ブックマークを思い通りにつけられないこと、書棚のソートが一瞬で終わらないこと、意味のわからない単語について小画面を開けないこと――こういう使い勝手の悪さ、これはだんだん大きなストレス、フラストレーションになっていくでしょう。人間って歩いて十分のスーパーにでも車で出かけちゃうものだし。だからGoogleブック検索が成功するかどうかはともかくこの流れは既定かな、と考えています。
いつか――数十年先くらい――に「グー様の腹の中」は公共的インフラになっているんじゃないかな、と空想します。いまでもウェブ2.0的に解放はされていますが、NTTなどのキャリアが回線網の使用料に不当な値付けができないように、だれでも接続・利用して多様なサービスを展開できるようになるべきではないかと。

あ、そうそう、飛もヴェルヌ条約と書いていました……>