『ラギッド・ガール』その9
緻密に世界を構築する……というのが苦手なわけです。
苦手というか、あんまり関心ないんですよね。
銀河帝国の通貨や度量衡の単位を事細かく定めることに、なんの意味があるのかよく分からない。メートル法でいいでショと思ってしまう。架空世界を描くのであれば言語体系から作らなければ、という意見にも反応できない。ふーん、でもまあ日本語で書いとるじゃん、と思ってしまう*1。
これはもちろんSF作家としてはいい傾向ではないのでしょう。世界構築に熱心だと評価が高かったりする面はあるしね。もちろん飛だって、中華風ファンタジーをポンド・ヤード法で押し通す勇気はないです*2し、程度問題ではあるんだけど、それにしてもこの方面の関心というか熱意は薄いなと自覚しているわけです。
しかしこれだと、やっぱり苦労するのですね。
たぶん飛は「手元ばっかり見て仕事する」タイプなのです。
連作の中短篇を書く時も、全体の設計図を引いてから、とか作品同士の噛みあわせの精度を出すこととかは、じつはあんまり気にしていない。むしろその作品の中で「どこまでいけるか」をつい、追究しちゃう。さらにいうと設定をきびしく詰めていくのもそんなに好きじゃなくて、どっちかというと「自分」をどんどん掘っていくのが面白い。掘って掘って掘り抜いていって、「あ、こんなん出た!」となったとき凄くうれしい。
『ラギッド・ガール』のノートで、表題作を「じぶんの最高作だ」と書いたのはそういうわけです。あれの正体が「彼女」だった、というのは初稿を最後の最後まで書いてはじめて分かったことなのでした。「予想できるオチ」と思われたかもしれないですけど、あれにいちばんびっくりしたのはたぶん飛本人です。あれは計算ではなかったし、借り物でもなかった。だからどんなに「ありきたり」「予想どおり」と言われても平気でいられる*3。
ま、そんなわけで作品同士の設定は完全に整合していないし、読み返すとシンボルの操作にもかなり精度の悪いところがあります。反省しきりですけど、まあこの性分は直らないでしょうね。