磯光雄氏といろいろお話できました……

贈賞式パーティーで磯氏とお話ししていて、イズモのことをいろいろ訊かれたりしました。
それで思ったのは、「土地の力」についてかなり強く意識されているのかなあ、ということ。そういえば大黒市のあちこちに歴史説明の看板が立ってたりしましたけど、表面的には言及されないものの、いろいろ設定があることと推察されます。土地の起伏、川のながれ、道路の配置……。タイトルバックで大黒市の地図が詳細に描かれていましたっけ。あれ、メタタグの絵模様のようでしたね。
古い、根源的な力を蓄えている場があり、その上にかぶさった(本作で言えば電脳空間の)レイヤがある種の配置を取るとき、その力が浮上する、そんな感覚がこの作品の――というか作者の――底に流れているのではと感じました。このような、作品の表面的なテイストや主題やネタやシノプシスのずっと以前にある、作者の、なんというか欲望のみなもとみたいなもの、それをこそ「世界感」(誤字ではなく)、あるいは作家性と呼ぶべきでしょう。
「古い空間」や「アッチ」という言葉。細い道がつながりあっている、という感覚。それもこれも、設定やアイディアから精密に導き出されたものであると同時に、その「世界感」の表出であるに違いありません。
今後磯氏がどのような仕事をして行かれるかは分かりません。しかしのちに大成されたとして(是非そうあってほしいのですが)「磯光雄の、なにもかもが『コイル』で十全に発揮されていた!」と、ほんとうに理解されるときが来るように思われます。たんに物語やSF性の見事さではない、もっともっと重要で、観客や読者を魅了する最大の要素、まだ我々も気がついていないなにもかもが、もうここに揃っていたと。
それが明らかになってゆく道程につき合うこと、それは若い人たちの義務であり喜びであるでしょう。