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以下は、第49回日本SF大会TOKON10における星雲賞お礼の言葉からのリンクです。
「自生の夢」は多くの先行作品からの影響を受けてできあがっています。
とりわけ次の三つの作品、水見稜の『マインド・イーター』、ビクトル・エリセの映画「ミツバチのささやき」、そして伊藤計劃の『ハーモニー』の三作品にはきわめて多くを依っています。というより「自生の夢」はこれら三作品に対して飛がつけたささやかなメモでしかない、そう言い切ることさえ可能だと考えているのです。
大森望氏から「NOVA」への依頼をいただいたとき、まず頭に浮かんだのは、『ハーモニー』のことでした。あの頃はまだ『ハーモニー』におけるetmlの種明かしに得心が行かず、一抹の違和感を解消できていませんでした。この引っ掛かりは放置するには惜しい。もう少し考えてみる価値がある。性急な結論を出すのではなく、自分の作品として一から作業をすることで何かを探ってみるべきではないか。そうすべきなのではないか。そう思われたのです。
以前もどこかに書きましたが、『ハーモニー』を読みあのテキストの流れを自然にくみ取る限り、etmlのタグを打ったのが誰かといえばやはりトァンしか考えられない。普通に呼吸し、生きることがそのまま多様な情報環境とのやりとりであり、それがタグの形で刻印されている、すくなくとも私はそういうイメージを『ハーモニー』から受け取っていたのです*1。
それなら――あるじの行動のすべてを自動書記するパーソナルな情報エージェントがいて、そいつが吐き出すログはつねに不特定多数の読み手に向けたテキストとして開放されているような、そんな社会を想定することはできないだろうか――こう考えるうちに形をとっていったのが「自生の夢」に登場するCassyでありまたGEBでありました。Cassyの短文をTwitterの亜種と考えて下さった読者が多いことは知っていますが、そもそもの着想はこういうものであった、ということだけは此処に書きとめておきたいと思います。
さて次は『マインド・イーター』です。
『マインド・イーター』は大原まり子氏や火浦功氏と同時期にハヤカワSFコンテストでデビューされた水見氏の代表作であり、飛にとってはオールタイム・ベストのひとつであります(そのことは以前SFマガジンのエッセイで書きました)。『マインド・イーター』は短編、中篇で構成される連作集ですが、その第1作のタイトルがじつは「野生の夢」なのです。一読してお分かりいただけるとおり、飛の「自生の夢」はまずもって『マインド・イーター』へのオマージュであるという宣言のもとに書かれたものなのです。
「野生の夢」(それにしてもなんという強度を持つタイトルでしょう!)に登場する異質な非生命知性体〈マインド・イーター〉のイメージはそのままそっくり「自生の夢」の〈忌字禍〉に投映されています。というより飛は〈忌字禍〉をGoogle的情報空間に出現した〈マインド・イーター〉のヴァリエーションとして書いたつもりでした。仮に〈忌字禍〉が現代の読者にインパクトを持ったとすれば、それは飛の手柄ではなく、〈マインド・イーター〉にこめた水見のイメージが時の流れを経ても決して摩滅しない凄まじいばかりのものであったからにほかなりません。
そして――じつはそれだけではない。
「野生の夢」には後続作として「おまえのしるし」というさらに異様な作品が控えています。
〈マインド・イーター〉と人類の言語との関係を扱ったこの作品の結末近くに、ある戦慄的なフレーズが――飛は初読時以来忘れたことがありません――登場します。
水見はこう書きます。「死体の上に死体が積もり、言葉の上に言葉が積もる」と。
そうしてかれは「死体」と「言葉」の双方に「コーパス」というルビを振ったのです。
言葉と死体が同じものであるとしたら、あるいは通底する何かがあるのだとしたら――そう、言葉を使って「あるもの」をつくることも可能なのではないか。そんな私の思いつきが「自生の夢」の冒頭に結びついてゆくのです。
すなわちビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」に。
「自生の夢」をお読みでない方のためにここでこれ以上踏み込むことはしません。
その代わり、「自生の夢」のちょうど真ん中あたりで長々と引用した、この映画に登場するナレーション――手紙の文面についてふれることをおゆるし下さい。
この映画をさいしょに観た時、私には、その手紙は観客であるわれわれに向けて差し出されたものであると思われたのです。あのナレーションはわれわれへの語り掛けであるようにおもわれたのです*2。ひとつの「映画」のなかから、映画の中の世界と人びとのようすを報告する、細いメッセージが届けられるということ。
「ミツバチのささやき」を観て以来というもの、この手紙の場面を飛は忘れたことはありません。「ハーモニー」から「おまえのしるし」、そして「ミツバチのささやき」へとつながる線上に、この手紙を書きとめること。それは私にとってほとんど必然とでも言うべきものでした。