謝恩企画

以下に公開するのは、「象られた力」改稿版の制作に際して、飛が文庫編集者S氏に送付したメールの一部です。
というわけで以下の記事は同作のネタを底の底まで割っております。(謝恩企画ですから。)自己責任でお読みください。あと整形がちょっと読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。
=========
当初04年7月刊行をめざしていた同書ですが、最大の難物であった中篇「象られた力」の一次修正ができあがったのは5月末でした。その出来についてS氏と東京で意見交換したのが、6月7日。
じつは一次修正では、まだ旧版の構成をそのまま踏襲しており、描写の古くさく恥ずかしい部分の削除と、メインアイディアの部分的アップデート(旧版ではトレダウェイの能力開発は遺伝子改変によって獲得されることになっていました。あんまりだよね。)にとどまっていました。
旧版では「ブック」はひとつ(一種類)しか登場していませんでした。上記アップデートの過程で、結果として「ブック」に意味を何重にも持たせすぎてしまい、それが読者の混乱を招くと思われました。
その改善を話しているうちに、だんだん話がエスカレートして、話の骨子を根底から組みなおすということになってしまったのです。
最終的には、200枚に及ぶ中篇を、オリジナルのストーリーラインはそのままに、内装をがらりと変えるという難工事になってしまいました。

まずは6月12日に送った基本的な修正案。だいたいこの通りに実現しています。旧版をご存じない方は、つまり下記の内容が今回修正された部分だと思っていただければ良いでしょう。

S様

飛浩隆です。

6/7の打ち合わせによる「象られた力」の全面改稿は、次のように考えております。

・アオムラ錦を、悪意のテロリストから善意の造形家(アクセサリの職人)に変更し、百合洋テロの犠牲者に位置づけなおすことで、作品の主題『模伝子(ミーム)によるテロ』を強調にする。

・主舞台を圓のアトリエからアーティストたちの集団生活が行われている複合ロフトに変更し、圓と錦とを旧知の間柄とする。ブリギッテ、プラーガもこのロフトの住人またはスポンサーとして整理し、この集団に「マガザン・ド・デーユ」の名をあたえる。このため白川の肩書きは、L&S協会の文化事業部 学芸員に改める。(なお、ミームテロ対策はまさにこの文化事業部の業務であり、そのかぎりでは白川は嘘をついていないこととする。)

・複合ロフトはハバシュをリスペクトし、また実際にハバシュの工房メンバーでもあるアーティストたちの半集団生活の場である。

 複合ロフトは、シジックシティのなかにハバシュが意図的に設けたニッチ空間のひとつに海賊的に設置されている。そのルックスはかなりキッチュで、ハバシュの代表的な建築を小さくデフォルメした数多くのセルが上下左右に連結している。(観光地で見かける「世界の建築を縮小し集めた公園」から着想。)
 このセルは相互に連結を変え移動することができる。(ルービックキューブのようなジョイントで接合されているため)アーティストたちはお気に入りのセルの中に住みつき、あるいは部屋どうしを繋げて共同作業を行う。
 可動セルの中心には不動セルがある。その内部構造はハバシュがデザインした図書館の構造が流用されており、そのセルの住人がドメニコ・プラーガである。プラーガはロフト住人に不干渉の世捨て人であり、同時に気さくな老賢者でもある。

 ねんのため解説すると、複合ロフトの構造は「ブック」のメタファーである。

・複合ロフトに登場人物の若干名の追加が必要である。また白川を「悪者」として描く必然性は弱まった。新版では白川の暗黒面を強調しない。命名法を統一(日本ふうの場合姓がカタカナ、名が漢字)するため、表記を「シラカワ」に改める。(名は明かさない。) 
・以上を考慮して、登場人物表を次の通りとする。なお、カッコ内は外見、言動上の年齢である。(L&S協会やシジックでの年齢計算法を設定していないため。)

クドウ圓(ヒトミ)  (28)   イコノグラファー 本作の主人公  
アオムラ錦(ニシキ) (16)   アクセサリ職人 圓の恋人 百合洋おたく マガザン・ド・デーユのメンバー
イード・ウルド・ハバシュ(39) 建築家 マガザン・ド・デーユ「名誉総裁」
ブリギッテ・ティーデマン(41)  テキストラクチャ造形家(textructure artist)* ハバシュの恋人 マガザン・ド・デーユのメンバー
シラカワ  (33)        リットン&ステインズビー協会 文化事業部 主任学芸員
ドメニコ・プラーガ(100)     複合ロフトの所有者 車椅子探偵 不眠家
オガタ斎(イツキ)(9)      百合洋同人誌発行人(笑) 複合ロフトの住人 環の兄     
オガタ環(タマキ)(9)      百合洋同人誌発行人(笑) 複合ロフトの住人 斎の妹

※旧版の設定では「彩水画家」となっていました。textructureは光学的トリックないしギミックを仕込んだ大きなファブリックを空間に配置しillusionを現出させる芸術として創案しました。舞踊や演劇の舞台装置が発展、高度化したものと考えてください。ブリギッテは染織、空間造形、映像(静止画含む)コンテンツ制作の技法を駆使して作品を制作します。ホテルの大時計もこの技法で製作されます。圓はブリギッテの協力を得、ブックのコンテンツを空間的に展開して、見えない図形を探ろうとします。(くわしくは次項で)

・エンブレムブックのぶれは次のように解消する。

1)この作品が語られる当時、すでにレプリカの「ブック」が(希少品ではあったが)市場に流通しており、圓も錦もその存在を承知していた。しかしこのレプリカはテロリストが散布したものである。
2)錦を始めとする百合洋おたくたちはこのレプリカ(バイアスのかけられた偽物)をリファレンスにして、エンブレムグッズを制作、販売し、意識せずともテロに加担していた。
2)協会は「マガザン・ド・デーユ」がエンブレム汚染の危険性が高いことに着目し、ここにパッチをあてようとした。そのためのアイテムが真正の「ブック」である。物語の冒頭、白川は「これがオリジナル」とことわった上で圓にブックをわたす。
3)その上でシラカワは「見えない図形」について旧版と同様の説明を行う。シラカワの狙いは、複合ロフトの中で圓が真正ブック(すなわちテロの解毒効果がある)のコンテンツを展開することで、テロ図形の誘導効果を減殺しようというものだった。さらに複合ロフト以外へもその減殺効果を波及させたかった。
4)「見えない図形」は真正のブックの中にはない。シラカワはそれを承知の上で、圓が過剰な努力をすることを通じて、正しい効果のエンブレムが強く浸透していくであろうと考えていた。
5)圓は真正ブックを身体にマップする=テロへのカウンター効果を体現するが、その効果さえも、錦が体現する「思い出し」の効果に冒され、敗北する。この相克は圓と錦の双方から描かれ(このため次項に陳べる叙述の視点の追加が必要になる。)そのプロセスが、本作の主題である「ミームによるテロ」の厄介さと恐怖を浮き彫りにする。

・語り手として、これまで圓の一人称と、圓に寄り添う三人称を採用していたが、オチの導入としてパッチワーク状の叙述が許容できること、2バージョンのブックのコンフリクトを描く必要があること、さらに錦の悲劇を鮮明にするため彼女の心情に踏み込んだ叙述が必要であること、などなどから、錦にちかい場所からの語りが必要となる。場合によっては、さらに増えることも考えられる。


・錦がテロリストでなくなったことにより、プロットは次のように再編されます。(ナンバーは実際の章番号ではありません)

 その基本的考え方は、次の通りです。

 エンブレム効果の相克は、プロットの始めの方では物語の表面にはあらわれず、むしろ百合洋文化とその受容をめぐる、圓と錦の対話の中で暗示される。そのうちムザヒーブの事故の先駆けとなるような事件が錦とオガタ兄妹(錦に輪をかけた百合洋おたく)とのをめぐって発生する。ブリギッテからの現地報告を聴くのは圓ではなく錦であり、そのとき圓はシラカワと最後の対談を行っている。この両場面は読者に同時中継される。

 第一カタストロフの後、圓と錦は互いの秘密を知った後、最後の対面をする。断片化する錦の言葉の再配置のなかに、圓はテロリストのメッセージを受け取る。

 ……以下は旧版の通りとなります。

1  プロローグ
2  シラカワから圓への依頼
3  錦のモノローグと複合ロフトの概観
4  圓と錦のからみ(二人及びロフトの関係の提示、刺青の登場)
5  圓とブリギッテによるブックコンテンツの外部化作業
6  錦やオガタ兄妹に起こる異変の前兆、プラーガの登場
7  圓と錦のからみ(受容をめぐる意見の対立、錦エンブレムから圓へのクラックが発生)
8  オガタ兄妹に起こる悲劇、ムザヒーブからの事故連絡、ブリギッテの出発
9  シラカワからの中止の指示、圓とプラーガのダイアログ
10 錦にブリギッテからの着信/シラカワと圓の対面 そして第一カタストロフの発生
11 圓と錦の再会 錦の解体 第二カタストロフ シジックの「眼化」
12 解説 補遺

以上

謝恩企画(その2)

で、死に物ぐるいで改稿版を送りおえたのが、7月27日。ここからが本番でした(笑)。
中篇集に盛り込んだほかの三作のゲラをやりとりしながら(こっちでも「デュオ」を中心にバグつぶしをさんざんやりましたが)、S氏からメール、一次ゲラへの疑問点書き込み、電話で続々とツッコミが入ります。
ゲラを真っ赤にして返しつつ、赤ペンで補いきれない部分はデータを差し替えたり、メールで説明したり。
これが8月6日に送ったメール。ちなみに刊行は9月8日だったことを思い出していただければ、どれだけせっぱつまっていたか、お分かりでしょう。(このあたりから飛のはてなダイアリーも洒落にならなくなっていまつ。)

Sさま

飛です。
お世話になっております。

件名の著者校は前進中(いまいただいたゲラのページで300まで)ですが、しめきりぎりぎりの(つまりこちらを日曜の昼過ぎに)発送の予定です。

ここで改稿の基本線をいくつかお示しします。

●百合洋崩壊が社会に与えたニュアンスについては、圓が帰宅する車中で見るブリギッテのバナーの意味合いを変える(協会の委嘱で製作され、シティの随所に掲げられた弔旗とする)ことで対応します。これは比較的スマートな解決だと自負しています。

●瞳孔/ピリオドへの身投げは、ご提案のとおりタカシナ兄妹のあいだで起こったカタストロフということにします。この伏線(微妙なやつですが)を兄妹の登場の時に打ちます。環の瞳孔の大きさが左右で微妙にことなる、というもの。この身体的特異性によって環の図形への鋭敏な感性が実現されていることを読者にほのめかします(真の能力者が斎であることをミスリード)。

●錦(レプリカ、図形の奸計)と圓(オリジナル、図形への抵抗)の相克をどうドラマにするかは、かなり悩んでおりますがとりあえず次の手を打ちつつ進めているといったあんばい。

・錦には図形を身体表面にディスプレイすること、それによって世界とのあたらしい関係(インタフェイス)を持ちたいという欲望があるわけで、それをより明確にします。この欲望はとうぜん圓に対してもっとも先鋭的に向けられますが、圓は消極的であり、またブリギッテとの関係もあって、それらが錦の欲望を阻害しストレスを高めます。このあたりをベッドシーンで補強しました。

・圓はぎゃくに、外界との関係によって自分の静的な内部状態を撹乱されたくないという欲望の持ち主であり(村上春樹ふう?)、錦が刺青をいれるよう勧めても拒みますし、自分と同様な傾向を持つブリギッテに微妙な心情を抱いています。こうした点を書き込むことによって、本作のロジック面での対立を登場人物の心情の層にも反映させます。

・飛は、さいしょ「本バージョンでは、圓は錦のインフルエンスを受けていない」という設計で望んでいましたが、やはりこれは撤回します(さんざん悩みました)。具体的にどう落とし込むかはこれから考えます。

・錦がタトゥー・キットを実際に街角で売るシーンを追加することで、タトゥーの読み手に対する存在感を、冒頭ちかい段階で相対的に大きくします。これにより上記の相克をよりすんなりのみ込んでもらえると思います。

●なお電話でもお話ししましたが、環がブリギッテの部屋で失神したのは「強制終了」のためではなくオリジナルブックの「幻惑、爛酔」効果によるものです。誤解が生じないように多少ニュアンスに気をつけます。

こうした大きな点は、とても赤ペンでは追っつかないので、電話でもお話ししたとおり、差し替え範囲を電子ファイル(及びプリントアウト)のかたちでお送りします。

#300ページまでのところの差し替えをこしらえたので、添付ファイルとしてお送りします。

今回の改稿の結果、原稿のボリュームがすこしですが膨らみます。まことに申し訳ありません。

では。

この後も一字一句に及ぶやりとりが果てしなく続きますが、ふつうの読者の方にはほとんど意識されないかもしれません。
これは8月19日に送ったメール。

S様

飛です。
ゲラをお送りしたあとになってナンですが、もう1箇所修正をお願いします。
本ゲラで言うと308頁、4行目

 「だから心細い」からこの段落の最後「まだわからない。」まで

をすべて 削除 します。

Sさんも指摘されるように、タブヒーブでの事故に対する兄妹のリアクションは抑制しています。
最初書いていたときは、
1)あまり書き込むと話が拡散してしまう
2)読者にとっても、そう読みたい部分でもない
3)以上ふたつを度外視しても、この兄妹にとっては、この事故は(両親の死は)さほど問題ではないのではないか。
というほぼ無意識レベルでの判断が働いていました。ただ。3)がそのままでは受け入れられないかもな、と考え申し訳程度のフォローをしたのが上記の、今回削除をお願いした箇所です。

今回再三指摘を受けても、まあこれでいいんじゃないと思っていましたが、ゲラを出したあと、最後に残った問題としてここをふり返ってみました。

上記1)2)は別として、3)についても意見は変わりません。兄妹の愁嘆を書いても、くどいし、なによりありきたりだと思います。(じゃあ他はありきたりでないのか、と問われると窮しますが(笑))
しかし、それならいっそ「申し訳程度」の理由を書きつけておく必要がないかも、と思いました。

ゲラにも書いているように、環は知的な発達障害を有していることがほのめかしてあります。彼女にとっては、兄・ロフトの住人たち・そして図形とで世界はおおむね完結しており、両親のことも「死」が確定していない段階では、さほど彼女の世界を波立たせるものではないでしょう。

斎にしてみれば、この段階ですでにテーブル溶解の事件は発生ずみであって、「ついにきたか……(ずーん)」というものはあっても、心配でおろおろとはしないと思います。
しかし、だとすると、これまで書いてきたなくもがなの理由は、ちょっとそぐわない。
むしろここでは斎がそのことを独白しない(それにふれようとしない)のが自然では、と考えるにいたりました。

ということで上記の判断です。ここをカットすることで、「語り手が都合のわるいことを伏せる」という叙述が成立しますし、前後も切れ目なくつながるかな、と。

ご判断いただければ幸いです。

結局飛が最後の修正を送り終えたのは、8月22日でした。(くどいようですが刊行は9月8日。)
以上、お読み頂ければ、書籍編集者がいかにすさまじい労力をつぎ込んでいるか、うっすら想像していただけると思います。その想像のだいたい34倍くらい(当社比)でしょうか。
作家があとがきで謝辞を述べるのももっともだと理解していただければさいわいです。