謝恩企画(その2)
で、死に物ぐるいで改稿版を送りおえたのが、7月27日。ここからが本番でした(笑)。
中篇集に盛り込んだほかの三作のゲラをやりとりしながら(こっちでも「デュオ」を中心にバグつぶしをさんざんやりましたが)、S氏からメール、一次ゲラへの疑問点書き込み、電話で続々とツッコミが入ります。
ゲラを真っ赤にして返しつつ、赤ペンで補いきれない部分はデータを差し替えたり、メールで説明したり。
これが8月6日に送ったメール。ちなみに刊行は9月8日だったことを思い出していただければ、どれだけせっぱつまっていたか、お分かりでしょう。(このあたりから飛のはてなダイアリーも洒落にならなくなっていまつ。)
Sさま
飛です。
お世話になっております。件名の著者校は前進中(いまいただいたゲラのページで300まで)ですが、しめきりぎりぎりの(つまりこちらを日曜の昼過ぎに)発送の予定です。
ここで改稿の基本線をいくつかお示しします。
●百合洋崩壊が社会に与えたニュアンスについては、圓が帰宅する車中で見るブリギッテのバナーの意味合いを変える(協会の委嘱で製作され、シティの随所に掲げられた弔旗とする)ことで対応します。これは比較的スマートな解決だと自負しています。
●瞳孔/ピリオドへの身投げは、ご提案のとおりタカシナ兄妹のあいだで起こったカタストロフということにします。この伏線(微妙なやつですが)を兄妹の登場の時に打ちます。環の瞳孔の大きさが左右で微妙にことなる、というもの。この身体的特異性によって環の図形への鋭敏な感性が実現されていることを読者にほのめかします(真の能力者が斎であることをミスリード)。
●錦(レプリカ、図形の奸計)と圓(オリジナル、図形への抵抗)の相克をどうドラマにするかは、かなり悩んでおりますがとりあえず次の手を打ちつつ進めているといったあんばい。
・錦には図形を身体表面にディスプレイすること、それによって世界とのあたらしい関係(インタフェイス)を持ちたいという欲望があるわけで、それをより明確にします。この欲望はとうぜん圓に対してもっとも先鋭的に向けられますが、圓は消極的であり、またブリギッテとの関係もあって、それらが錦の欲望を阻害しストレスを高めます。このあたりをベッドシーンで補強しました。
・圓はぎゃくに、外界との関係によって自分の静的な内部状態を撹乱されたくないという欲望の持ち主であり(村上春樹ふう?)、錦が刺青をいれるよう勧めても拒みますし、自分と同様な傾向を持つブリギッテに微妙な心情を抱いています。こうした点を書き込むことによって、本作のロジック面での対立を登場人物の心情の層にも反映させます。
・飛は、さいしょ「本バージョンでは、圓は錦のインフルエンスを受けていない」という設計で望んでいましたが、やはりこれは撤回します(さんざん悩みました)。具体的にどう落とし込むかはこれから考えます。
・錦がタトゥー・キットを実際に街角で売るシーンを追加することで、タトゥーの読み手に対する存在感を、冒頭ちかい段階で相対的に大きくします。これにより上記の相克をよりすんなりのみ込んでもらえると思います。
●なお電話でもお話ししましたが、環がブリギッテの部屋で失神したのは「強制終了」のためではなくオリジナルブックの「幻惑、爛酔」効果によるものです。誤解が生じないように多少ニュアンスに気をつけます。
こうした大きな点は、とても赤ペンでは追っつかないので、電話でもお話ししたとおり、差し替え範囲を電子ファイル(及びプリントアウト)のかたちでお送りします。
#300ページまでのところの差し替えをこしらえたので、添付ファイルとしてお送りします。
今回の改稿の結果、原稿のボリュームがすこしですが膨らみます。まことに申し訳ありません。
では。
この後も一字一句に及ぶやりとりが果てしなく続きますが、ふつうの読者の方にはほとんど意識されないかもしれません。
これは8月19日に送ったメール。
S様
飛です。
ゲラをお送りしたあとになってナンですが、もう1箇所修正をお願いします。
本ゲラで言うと308頁、4行目「だから心細い」からこの段落の最後「まだわからない。」まで
をすべて 削除 します。
Sさんも指摘されるように、タブヒーブでの事故に対する兄妹のリアクションは抑制しています。
最初書いていたときは、
1)あまり書き込むと話が拡散してしまう
2)読者にとっても、そう読みたい部分でもない
3)以上ふたつを度外視しても、この兄妹にとっては、この事故は(両親の死は)さほど問題ではないのではないか。
というほぼ無意識レベルでの判断が働いていました。ただ。3)がそのままでは受け入れられないかもな、と考え申し訳程度のフォローをしたのが上記の、今回削除をお願いした箇所です。今回再三指摘を受けても、まあこれでいいんじゃないと思っていましたが、ゲラを出したあと、最後に残った問題としてここをふり返ってみました。
上記1)2)は別として、3)についても意見は変わりません。兄妹の愁嘆を書いても、くどいし、なによりありきたりだと思います。(じゃあ他はありきたりでないのか、と問われると窮しますが(笑))
しかし、それならいっそ「申し訳程度」の理由を書きつけておく必要がないかも、と思いました。ゲラにも書いているように、環は知的な発達障害を有していることがほのめかしてあります。彼女にとっては、兄・ロフトの住人たち・そして図形とで世界はおおむね完結しており、両親のことも「死」が確定していない段階では、さほど彼女の世界を波立たせるものではないでしょう。
斎にしてみれば、この段階ですでにテーブル溶解の事件は発生ずみであって、「ついにきたか……(ずーん)」というものはあっても、心配でおろおろとはしないと思います。
しかし、だとすると、これまで書いてきたなくもがなの理由は、ちょっとそぐわない。
むしろここでは斎がそのことを独白しない(それにふれようとしない)のが自然では、と考えるにいたりました。ということで上記の判断です。ここをカットすることで、「語り手が都合のわるいことを伏せる」という叙述が成立しますし、前後も切れ目なくつながるかな、と。
ご判断いただければ幸いです。
結局飛が最後の修正を送り終えたのは、8月22日でした。(くどいようですが刊行は9月8日。)
以上、お読み頂ければ、書籍編集者がいかにすさまじい労力をつぎ込んでいるか、うっすら想像していただけると思います。その想像のだいたい34倍くらい(当社比)でしょうか。
作家があとがきで謝辞を述べるのももっともだと理解していただければさいわいです。