日本SF大会 TOKON10

ところで2007年のNIPPONCONでセンス・オブ・ジェンダー大賞を戴いたときに、スピーチをしたのです。
それは、ハヤカワ文庫JA版『ラギッド・ガール』で巽孝之氏が紹介された「受賞のことば」とは別なもので、そういえばあんとき喋ったきりでしたが、探してみたら原稿が出てきたのでアップしときます。

飛浩隆です。あいさつがヘタなので、失礼ながらメモを読むこととします。

私のかわいい娘である『ラギッド・ガール』に大きな賞を授けていただき、ありがとうございます。当の娘の感想はまだ聞いておりませんが、たいそう喜んでいるに違いありません。

このメモを書いた時点では、選考委員の皆様が、わが娘のどこを気に入っていただけたのかまだ教えていただいていません。この娘は、私にとってはかわいいことはもちろんなのですが、正直に白状すれば、なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませます。

『ラギッド・ガール』は短編集であり、さまざまなキャラクターが登場いたしますが、私にとりましては、娘といってまず頭に浮かぶのは、表題作の主人公のひとりである阿形渓であります。
阿形渓をひとことで言いあらわすことは難しいのですが、たとえば「接続された女」ならぬ「接続させる女」であると言えるかもしれません。彼女のラギッドなテクスチャを見た者は、どうしてもその膚に触れたくなる。触れることで、自分に決定的な変質がもたらされることが予感できるからです。

このテクスチャの危険性は私にとって、SFというジャンルの魅力とぴったり重なります。なにを考えているかよく分からない上に、ひとをいらだたせる言動と、醜い姿を持って、ときに怪物のように私を悩ませる、そんな圧倒的で魅惑的なテクスチャが、SFというジャンルいちめんに敷きつめてあること、みなさんもとっくに知っておいででしょう。
人はSFというジャンルに触れずにはいられません。なぜなら触れることによって、みずからが変質すると知っているからです。一刻の停滞もなく変質を余儀なくされること、それがSFを生きるということにほかなりません。

Wikipediaの日本語版によりますと、「ジャンル」ということばは「ジェンダー」と同じ語源を持つのだそうです。生まれ落ちたときに持った性質、といえば共通しているようにも思えます。
私は、物心ついてからというもの、SFというジャンルを、そうしてSFというジェンダーを生きてきました。このジェンダーはその中に安住することを許しません。SFはわれわれに求めます。つねにその蠱惑的な膚ざわりとこすれあえと、絶え間なく変質してゆけと。
SFを生きるとは、このようにセクシュアルな体験であると考える私にとって、娘が〈センス・オブ・ジェンダー賞〉をいただいたこのはこの上ない喜びです。
娘に代わり、もういちど、心からお礼申し上げます。

ありがとうございました。

2007.9.2 ワールドコンNippon2007にて
飛浩隆