GoogleBookSettlementのつづき

新城カズマ氏に、はてなスターなんかもらちゃったりしましたが、
贈賞式パーティーで新城氏とこの話になり「いやもう世界史が変わるところに立ち合ってますね」「青空文庫のあの苦労はなんだったの?」などと笑いながら話していました。
いやこの件、考えるといろいろ面白いなあ。
新城氏のブログにてこの件を幅広くフォロー中なので、関心のある方はどうぞ。そして氏にぜひぜひ情報提供を。

この件について飛はいまのところ意見も何もなくって、ただもう「わあ面白いや」「でもなんか腹たつな」という感想があるのみ。腹が立つのは、著述家という人種が自尊心のみによって成り立っているからでしょうね。まあ単独著書は3冊しかないし、はっきり言ってロングテールの霞んで見えないあたりにいる飛には、分配率6%だろうが6000%だろうが関係ないし。(まさか分配率63%を本気で喜んでいる人なんていないでしょうけど。印税率じゃないしね。)

しかしこれ飛躍した喩えをするとですね、ハリウッドメジャーからアフリカの個人作家、日本のテレビ局まで、市中にビデオ商品がいったん流通したものは、すべてそこから最高画質でキャプチャ、片っ端からYoutubeで配信、フレーム単位で画面の要素が分析され、検索でブックや音楽やwwwともリンク、もうけは分配します、みたいな話であって、凄えですよねー。

このモデルが、しょぼい著作者にもそこそこ利益を回すようになる分岐点があるとして、それがオメガポイントかなあ。英語を使っていて、あと所得水準は低い国(ベルヌ条約も批准)の作家さんなんか、けっこうチャンスかも。
上にも書いたけど著作者の自尊心をもう少しくすぐるしくみがあると(読者からのリスペクトが分配率に反映されるとか)、また状況が激変するかもね。

磯光雄氏といろいろお話できました……

贈賞式パーティーで磯氏とお話ししていて、イズモのことをいろいろ訊かれたりしました。
それで思ったのは、「土地の力」についてかなり強く意識されているのかなあ、ということ。そういえば大黒市のあちこちに歴史説明の看板が立ってたりしましたけど、表面的には言及されないものの、いろいろ設定があることと推察されます。土地の起伏、川のながれ、道路の配置……。タイトルバックで大黒市の地図が詳細に描かれていましたっけ。あれ、メタタグの絵模様のようでしたね。
古い、根源的な力を蓄えている場があり、その上にかぶさった(本作で言えば電脳空間の)レイヤがある種の配置を取るとき、その力が浮上する、そんな感覚がこの作品の――というか作者の――底に流れているのではと感じました。このような、作品の表面的なテイストや主題やネタやシノプシスのずっと以前にある、作者の、なんというか欲望のみなもとみたいなもの、それをこそ「世界感」(誤字ではなく)、あるいは作家性と呼ぶべきでしょう。
「古い空間」や「アッチ」という言葉。細い道がつながりあっている、という感覚。それもこれも、設定やアイディアから精密に導き出されたものであると同時に、その「世界感」の表出であるに違いありません。
今後磯氏がどのような仕事をして行かれるかは分かりません。しかしのちに大成されたとして(是非そうあってほしいのですが)「磯光雄の、なにもかもが『コイル』で十全に発揮されていた!」と、ほんとうに理解されるときが来るように思われます。たんに物語やSF性の見事さではない、もっともっと重要で、観客や読者を魅了する最大の要素、まだ我々も気がついていないなにもかもが、もうここに揃っていたと。
それが明らかになってゆく道程につき合うこと、それは若い人たちの義務であり喜びであるでしょう。