伊福部 昭 90歳記念コンサート(2)

さて夜になりました。
この件に関しては松浦晋也氏のじーんとくるレポートがありました。一読をお奨めします。またネットでは他にもいくつもレポートが発見できるようです。
アンコールの《シンフォニア・タプカーラ》は録画で見ていてさえ、身体が熱くなるような演奏でした。ゴジラからの花束贈呈に対して、伊福部先生の方から握手の手を伸ばしておられた光景も特撮好きには誇らしい光景でした。

 さて手元のムック「日本の作曲20世紀」(音楽芸術別冊1999.7.1)の「伊福部昭」の項で,
片山杜秀氏は、伊福部氏が1941年に《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》の初演プログラムによせたコメントを引きつつ、つぎのように書いています。

「血液の審美と現代のダイナミズムの結合が、この作品の主体である。またこれらに何等かの色彩を得たとすれば、それは私の個性と北方感覚の参加に他ならない」。つまり、この作品では、日本民族の血液と北アジアの風土に根ざした音感覚に、「現代のダイナミズム」を重畳することが企てられている。
土着的、土俗的な美意識と、現代文明、科学文明のイメージ。両者は、一見、相対立するとも思われる。が、実は両者は、狂おしいまでに粗暴になりうるとの一点のみでは鮮やかに結ばれうるのだ。伊福部はここに注目し、日本的、アジア的な雄勁の旋律美に、第2次大戦を巻き起こすまでにいたった科学文明の凶暴なヴァイタリティを象徴する、メカニックな変拍子や不気味なポリリズムや暴力的なトーンクラスターを結びつけ、《協奏風交響曲》を書き上げたのである。

この延長上に、私たちは容易に、炎上する東京にたちあがる暴龍のすがたを幻視することができるでしょう。一編の怪獣映画が神話に転ずるという奇跡の、最大の貢献者のひとりが伊福部氏であったことを、あらためて思います。
私たちの映像体験の一方の極に手塚治虫氏のハイカラで、ソフィスティケートされて、クリーミイな(そしてぞっとするほどシニカルな)世界があるとして、他の極のひとつに伊福部氏が参加されていたことの幸運に感謝したい気持ちでいっぱいです。
そうして、そういえば伊福部家のルーツ、鳥取県の出身者には水木しげる氏がいらっしゃったなあと思うのです。

ところで上記ムックの作品リストには1955年の放送音楽『人工衛星の恋』というのが上がっています! これ、どんな番組だったんでしょうね。