スタニスワフ・レム死す

先人が書いたSF小説は、現役作家の(そして読者の)共有の資産、という感覚があるわけです。
それは主流文学やほかのジャンル小説ともちょっと違って、たとえば自然科学の論文や紀要のような、そんな感覚です。だれかがひとたび切り開いた領域から、後続の作家は、そして読者は潤沢な素材とインスピレーションを受け取ることができる。SF小説は文芸であるけれど、同時に知力のかぎりを振り絞ったレポートでもある。そんなジャンルだと、飛は勝手に思っているのです。
スタニスワフ・レムが手にした刃物は、ほかのだれにも真似のできない鋭い切れ味と、ゆたかな厚み、粘りを帯びていました。レムのストロークがこの世界に創った切断面は、今後数十年にわたって、私たちに霊感を与えつづけるでしょう。
さきごろ書いたSF大賞パーティーのレポート(ときどき増補しています)では書きませんでしたが、石川喬司氏は飛に対して「象られた力」に「ソラリス」の影響を指摘されました。もちろんそのとおりです。「シジック学」と書きつけたとき、当然、飛の脳裡にはレムのぎょろりとした目ん玉が浮かんでいました。
どんなに力が及ばなくても、あの目ん玉をにらみ返しつづけていたい。
その気力がある間は、SFを書きつづけていられるのでしょう。
(酔っているので、論旨は破綻しています。気にしないように)