大雨と水害

島根県はおよそ30年ぶりと思われる大雨。松江駅周辺は水浸し。宍道湖の嫁ヶ島もほぼ水没。いまちょうどNHKのニュースでやりはじめました。
県庁所在地の一級河川で堤防がない(昭和47年の水害後に計画された河川改修が完了していない。)のは松江市だけです。水辺の美しい景観とは、すなわち人の居住地と水の脅威の境界にほかなりません。
増水した川の、ごうごうと逆巻く濁流を見ていて思うのは「ああ、川って安全装置だ」ということ。川のそばにまだ無事で建っている家と対比すると、そのことがくっきりと見えてきます。これだけの降雨を山や農地、原野や居住地から海に逃がしているのは〈河川〉という装置です。川が危険に見えますが(もちろん危険ではあるのですが)、水のリスクが川に逃がされているからこそ、そこが目立っているわけです。
ほぼすべての河川には人の手が入っています。川は自然の産物であると同時に人工的な装置であり、人はそれによって生命と財産を安全に保ち(治水)、また水を予測可能なかたちで発電や取水に利用する(利水)するのです。
「コンクリートの護岸に固められ」る前の「緑したたるふるさとの川」が安全装置としてはたして頼りがいのあるものだったか、いま川の安全システムの要求水準がどれだけ高いものか*1、いつも忘れないでいたいです。
被害に遭われている方、対策に駆けずり回っておられる方にお見舞い申し上げます。

*1:あなたの住む町にどれだけの人命と財産が集積されているか。