「ミノタウロス」(佐藤亜紀)
ふと思い立って、読了。こういう作品について何とかかんとかわかったような顔で述べるのは無理。なんとか呑みくだしたけどとうてい消化できず、いつまでも胃の腑の底で意地悪い(そうして倫理的な)蛙のように息づいていくと思います。そんな、一箇の生命。
新潟県って、十数年前に鉄道で通過しただけですけど、山ばっかりの島根に較べて田んぼが広いなあ、と車窓からながめていた記憶があります。雪がどかんと積もると、さぞかし寒いんでしょうね。
倹約家で簿記に長けてて風采の上がらない小男が、広い地所を持つ旦那に気に入られてまずまずの金をため込み、息子は金に飽かせてささやかな教養もどきを得る。
やがて世界は瓦解していき、全身を冷たく乾いた返り血に染めて、しかしときおり息子は本を読み、音楽を聴き分ける。
ところで株価は若干持ち直したようですが、中国も「人口のボーナス」はそろそろ先が見えているし、もう金融工学が好況を演出できる時代は終わりが近そうです。アメリカの泣きべそに快哉をさけんでいる人もいるんでしょうけど、でも、かつて冷戦の潮が引いたあと何が現出したか忘れてはいないでしょうか。夜郎自大のカウボーイをなつかしく思い返す日も、遠からず来るでしょう。
そのとき私たちは、陰鬱で大仰な〈トリスタン〉のヴィジュアルと軽やかなドニゼッティの旋律が絡まりあう様を観、聴いて――フェリーニとヴェルディでも、レオーネとモリコーネでも、宮崎駿とハレ晴レユカイでもいいのですが――涙を流すのです。
かつてあり、いまもあり、そして未来にもある、ひとつの情景。