訃報

去年からよくも続くものだ。
さすがに堪える。

栗本薫さんとは全く面識がない(おそらくご本人を見たこともない)。
飛がSFマガジンを毎月よみ続けるようになった時期と〈グイン・サーガ〉の開始とはほぼ同時期だったから、あの頃の「SFの勢いの良さ」を体現しておられたひとりとして(しかしそういう人が沢山いたよねえ)、やはり大きな印象を持っている。

亡くなってしまわれたのだなあ……。

栗本さんの(だからつまり小説の)文章を読むのは、じつに心地よかった。炊き立てのごはんをどんぶりに山盛りにして、わしわし食べ進むような、そんな気持ちの良さがあった。
みるからにおいしそうな湯気が立ち、どこからどう箸を入れても良く、できたてほやほやのピンと立った鮮度と、なんとも具合のよい粘りがあった。それじたいの味はあまり意識はしなくともよいくせに、いったん意識すればそこには必ずしっかりとした「底」を感じ取ることができた。

そう、まさに「わしわし」というフィジカルな感覚が(当時の)栗本さんの文章には必ずあって、それはこのwunderkindの、だれにも邪魔することのできない天稟の発露、その勢いがまさにそのまま書きとめられたテキストだったからだろう。
日本のSF作家で、こんな文章を書いた人としては、ほかに中井紀夫くらいしか思いつかない。

あのころは腹をぺこぺこにすかせた若者が、もう、たくさんいた。
男も女もすきっ腹をかかえてうろうろしていた。

そこへさっそうと現れた寮の食堂のおばちゃんが、業務用の炊飯器をばかっと開けてくれる。もうもうたる銀舎利の湯気、空きっ腹にひびく甘い匂い。でかいしゃもじを自在に操って、おばちゃんは(いや「お姉ちゃん」か)山盛りのごはんを何杯でも食わせてくれた。腹にたまるおかずもあったし、カレーもうまかった。
夢中であれこれ食べ、ふっと息をついて顔を上げると、緑色の網戸をはめた食堂のアルミサッシの向こうでは、山がもう夏の恰好をしていて、気の早い蝉ががんがん鳴きはじめている。
味噌汁を干し、漬け物と番茶で口をさっぱりさせ、お腹をぽんぽんとたたいて「ごちそうさーん」と厨房に声をかける。

いや、ほんと、あの頃はいつも腹をすかせてたなあ……。
ロッカーの隅のほうに、もしかしたらあの頃の弁当箱がまだあるかもしれない。