解説者

『象られた力』の解説は、SFレビュアーの香月祥宏氏が執筆されます。

……あれは2000年ごろでしょうか、飛がまだ『グラン・ヴァカンス』の原型をいじくりまわしていた頃です。『飛浩隆作品集』が少しずつ人目にふれはじめると、その反応が気になりだします。飛浩隆でぐぐってもたしか40個くらいしかヒットはなく、たいていは過去のSFマガジンのバックナンバーの目次であったのですが、中には飛の作品に触れたものもあり、その多くが好意的でした。(まあそれは当然で、忘れられた作品をわざわざ発掘した上で貶す人がいないだけの話。)

うれしかったですね。自分の作品をまだ覚えている人がいて、それどころか新作を期待している人さえいるということが。びっくりでした。それまでは自作について「読まれるべき人には、もう読まれた」などと悟ったようなことをつぶやいていたのですが、現金なものですね、現世に色気が出てきました(死人かお前は)。そう、小説家だってやっぱり芸人のテンペラメントを持ち合わせているのです。そういう色気ってすごく大事なんです。
2003年のSFセミナーの企画に出演したとき「作家から読者に言いたいこと」として、つぎのようにお話しました。

  • 買って!
  • 読んで!
  • 褒めて!

えー、飛の小説家としてのエゴはだいたいこの三要素からできています。他の人がどうかは知りませんが、あんまり違わないんじゃないかと思います(ほんとか)。とくに「褒めて」成分が足りなくなると、息が苦しくなってきます。便宜上「褒めて」と書きましたが、ようは「読んでくれている人が、はたしているのか」「その人はどんな感想を持ったんだろう」という手ごたえ感のようなものです。飛はほとんど雑誌でのみ活動していたので、とりわけこの「反応」に飢えていました(ほんと、ぜんぜん感想って聞こえてこないんですよ。素振りばっかりしているような徒労感)。
前に書いたことのくりかえしですが、その頃のことを思うと、webに感想がばんばんあがってくるいまの状況はほんとうに天国です。(「SFマガジン考課表」もよく読んでいます。)貶し、暴言もぜんぜんOK。

んーと、話が脱線してますね。そうそう、飛の存在をまだ覚えていた人がいたという話。
そうした好意派のひとりに「ファンタジア領」なるウェブサイトを運営しておられる「かつき」氏がいたのでした。そう、このところSFマガジンでしばしばお名前を見かける香月祥宏氏です。
だいたいこのあたりを読んでいただけるとかつき氏のスタンスが分かっていただけるのではと思いますが、いや、これはうれしかったですね。

今回『象られた力』を編むにあたり、解説者として飛は香月氏でいかがかと編集部にお話し、編集部からは「当然、当方もそう考えていた」という返事でした。
すでに飛の手元には香月氏の解説原稿が届いています。
中篇集の直しのいちばんしんどいときに届きまして、何回か読み返し、自分を鼓舞しました(笑)。
香月さん、ありがとうございました。
これでようやく飛の昔の作品たちは、世の中へもういちど出て行くことができます。