『アイの物語』(山本弘)

アイの物語
ゆうべようやく読了。今年を代表するSF小説だと思いました。もちろん長篇部門で。
後日もうすこし感想を書きたいと思います。
【以下追記】
ぎゃああっと叫んだのは、まず拙作「ラギッド・ガール」(03年)の情報的似姿の作成過程に似たアイディアが、「ミラーガール」(99年)でとうの昔に先取りされていたためでした。しかも飛のぐだぐだ流とは大違いで、理路整然とした設定がストーリイときれいに同期してストリーミングされてくるので、とてもわかりやすい。読者にむだな負担を強いないのです。
しかしやはり感銘を受けたのは書き下ろしの「詩音が来た日」で、これはどなたも言っておられるとおり文句なしの傑作、それこそインスタントクラシックの風格、つまり生まれたときから名作のオーラをまとっています。
まず瑣末なことですが、飛は福祉分野にはちょっとうるさいのですけれども、その目で見てもディテイルにほぼ文句のつけようがないことに舌を巻きました。老健と特養、介護士と機能訓練士がごっちゃになっているなんてアリガチなこともなく、舞台が老健=リハビリ施設であることが話の舵取りとしてちゃんと効いています。*1
つぎに感心するのが介護ヒューマノイド詩音の成長を逐一たんねんに描いていく、筆のねばり、持続力です。「AIが労働現場でのロードテストを通じて成長して行く過程を、端折ることなく、時間を追ってひたすら描きつづけていくこと。しかも説得力ゆたかに、起伏を設け、情緒的感動をともないつつ、トリッキーな技に陥らず……それがどんなに大変なことか。実作者である飛は感嘆の思いで見とれました。
この持続力を土台にして、本作がつくりあげたヴィジョン、それがここにもあるとおり、人間によって作られながら人類とはことなった知性を持つ存在としての「ロボット」です。本作の眼目は、このうえなく「人間的」な介護現場で育ちつつしかも人間とはまったくちがう、カッコつきの「ヒューマニティー」=ロボットが人間に対面するときの倫理的プロトコル=が芽ぐみ、そしてそれがロボット自身にとってもかけがえのない「こころ」として育っていくさまが描かれたことです。その委細はこの本を読んでいただくしかありませんが、ロジックの密度と情感のトーンをたくみにコントロールしながら長丁場をみごとに乗り切った作者に、ほんとうに拍手を送りたい。
さてトリを取る「アイの物語」ですが、これもすばらしい。ただし飛は「詩音が来た日」を読んだ時のようには作品と一体化した感動は得られませんでした。たぶん問題は読み手(つまり飛)の方にあります。というのも、飛はゲームを(ビデオゲームだろうが、ボードゲームだろうが、囲碁将棋であろうが)いっさい嗜まないという、非常に偏向した群に属しているので、ここで表現されているメンタリティを、受け取りそこねたのでしょう。
あとこれも瑣末なことですが、全巻を通して、作者は「道理の通っているのは自分の方だが、それが理解されていない」という感覚をわりと強めに出しています(その感覚さえもやがて相対化されるのですが)。それが素直な読み手としては「おやっ?」と思うほどなのです。これはいったいなぜだろうかと飛はしばし考え込みました。
いろいろ考えてとりあえずたどりついたのは「これは『思春期』の感覚に似ている」ということです。
本書を読んでいる間ずっと、「この本はもっと若い人に読まれるべき書物なのだろう」と考えていました。本書は「なにごとかが確立されていくまでのプロセス」を真摯に追及しています。その場合ある種の「理想論」が避けがたく生じるのですが、作者はそれと逃げずに対峙しています。「確立とそこにいたる葛藤に向きあうこと」、考えてみればまさにそれは思春期の感覚なのですよね。
「おやっ?」と思った箇所がたぶんチャンスなのです。作者が「その感覚」を読者に突きつけたのはなぜか、を考えるチャンス。
ちょっと余談が長くなっちゃいましたね。あとひとつ、どうしても書き落とすわけにはいかないことがあります。
(まだつづく)
(以下つづき)
「詩音が来た日」に話を戻します。その最後の一行、と、ひとつまえの行。ここ、一読しただけだと物語の情緒をきれいにしめくくるキメのように見えますが、実はここには本書全体にながれるAI観、ロボット観=「体性感覚はアイデンティティの一部である」がしっかりと反映されています。先述した詩音の「ヒューマニティ=プロトコル」は、このラスト一行に示される仕草と不可分であり、だからこどあのように受け継がれているのです。その論理性と、物語の落とし方の重ね方のすばらしさ!
【追記】
しかし「詩音が来た日」の「人間はすべて○○○である。」というアイディアには、まったく賛同できません。たぶんこれは「人間とロボットとの絶望的な乖離」を端的にあらわすためのフレーズなのでしょうが、いろいろ誤解を招く余地もあるかと。
(この稿(ようやく)終わり)

*1:つまり入所者がキャラとして動かせるだけの心身の機能を保っているということ。