『海辺のカフカ (上) (新潮文庫)』『海辺のカフカ (下) (新潮文庫)』(村上春樹)

海辺のカフカ (上) (新潮文庫) 海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
いまごろ読みました。
主人公が15歳にしては現実離れしているという感想があったようですが、「世界でいちばんタフな十五歳」という大胆な肩書きというか形容がついている時点でこの人物は多少なりとも神話化されているわけで、そんな文句を言ってもはじまらない。この主人公を取り巻いて登場する人物も事件も、同様に神話の世界に「半分」足を突っ込んでいます。また作者はそのことを隠そうとしていないどころか、むしろ強調しています。この「半分」というところがキモでしょう。作者は、われわれがこの難儀な物理世界で生きていくにあたり、じぶんが直面するさまざまな難儀を一種の神話的シンボルとして認識してみることを提案しています。現実逃避や処世ではなく、むしろその難儀を正しく生きるための方法として。(いや、こんな乱暴な総括はいけませんね。小説は全体でひとつの生き物なので、顔の良し悪しとか胸毛の生えぐあいだとか一部をとり出して結論めいたことを書いちゃいけない。)
読後しばらくして、この作品の手触りは「千と千尋の神隠し」に似ているな、と気がつきました。
これらの作品では、作者は緊密でアトラクティブなドラマを綯いあげる方面にはあまり関心と努力を向けていないように思います。受け手はちゃんとそういう空気を読んで楽しまないと、損することになるでしょう。
飛はもういい年なので、「もっとくっきりした起伏とカタルシスのあるドラマを頂戴!」と性急なおねだりをしない方が、結果として得するということを覚えました。(あ、いえ、若い人はじゃんじゃんやってくださいね。)