お蔵出し

こんなのって悪趣味なので、以下の記述は読まれなくって結構です。
(と、一応言い訳しといて、と)
きょう、散らかり放題の部屋を片づけていて、古いプリントアウトを見つけました。「クローゼット」の初稿(バージョン1)です。
『ラギッド・ガール』所収の「クローゼット」(バージョン3)最終章は雑誌掲載版(バージョン2)とまったく違っていますけれども、じつはこの初稿はもっともっと別物です。主人公ガウリ・ミタリがカイルの残した「あれ」の中で出会う相手が、違うのですよね。へっへっへ。
作品としての力は2や3の方が上なのですが、作品の自然な流れはやっぱり1の方に分があります。前半でちりばめたさまざまな細部(たとえば〈芽〉のイメージとか)がきれいに収束し、まとまったトーンを作ろうとしています。まあ、もうちょっと手を入れないと響きがうまく調和してないけれど。
ちょっとご披露しましょう。ガウリが銀座の〈カーサ・デル・ヌメロ〉*1で買い物をした次の章。(書籍版だと「5」)ネタバレ入ってますけど、自己責任でどうぞ。

 ガウリの立つ宏壮な空間は、何本もの高い高い柱で支えられている。
 空間の底にたたずみ、まわりを見渡したり、上を見上げたりしてみる。
 その柱。表面には微細な彫刻や装飾が波うつように付加され、そもそもは椰子の木に想を得たと言われている頭部は、まさに枝をひろげるように放射状の線条を描いて、天井のアーチにとけこんでいく。礼拝堂の高い穹窿ではその線条が幾何学的な交錯模様を敷きつめて、巨大な生物の骨格を裡から透かし見るような光景だ。
 一歩をふみ出すとそれにつられて空気が動く。
 空気の動きが匂いをもたらす。
 ガウリは――
 血腥い匂いをかぐ。
 固くなった死体の匂いをかぐ。
 乾き、砕けた骨の匂いをかぐ。
 巨大な電子の礼拝堂の壁という壁、あらゆる柱に、数え切れないほどの人体が磔にされている。
 それ以上に多くの死体がロープや鎖でさまざまな高さに吊り下げられている。床に累々と横たわっている。
 どれもこれも、瓜二つの姿かたちをした、若い女
 すらりとした手足と凄いほどの美貌をそなえた、同じ女。
 ひとりの女を雛型にして製造された何百体もの廃マネキンかとも思えるほどに、人形めいた美しさのある死体たちだった。
 体温をとどめるほど新しい死体も、固く乾燥した死体も、そのすべてが別々の方法で破壊されていた。そのむごたらしさも人間の想像力の発露というべきなのだろう、とガウリは嫌悪感を抑え込んだ。むごたらしさの背後にある悪意と異常性が、彼女たちの肉体というメディアに記録されているのだ。
「こんにちは」呼びかけてみる。「だれかいますか」
 その声の反響で、ガウリはこの空間の広さ、天井の高さを無意識のうちに測定する。
 人は意識にのぼらぬ領域でつねに外界をセンシングしている。踵にかかる力と自分の体重を組み合わせて床の硬さを判定する。その足音のひびきから天井の高さを測る。かすかな空気のながれと温度差から外部の天候を推測し予測までする。すぐれた区界では、似姿はただそこに立つだけで世界の“居(お)り心地”をひしひしと感じられる。一歩も動かずそこにいるだけでも、周囲から伝わる質感にほれぼれすることができる。絵画や音楽のマチエールが人をうっとりさせるように。
 そんな最高級の区界と同等の質感で、酸鼻を極めた礼拝堂が織り上げられている。
 しかしここは区界ではない。
 数値海岸に組み込まれたセクションでいない。ネットワークのどこともつながっていない、独立した、プライベートな官能素空間なのだ。
 個人所有の世界。カイル・マクローリンの部屋に置かれ、ずっと、ひっそりと、孤独に存在しつづけていた礼拝堂。
「こんにちは」こんどは声を張り上げてみた。「どなたかいませんか」
「大きな声を出さなくてもよいのよ」
 耳元で声。ふり返ると人形女の一体が立っていた。片目を刳り貫かれた美女の、残った目がウインクした。ガウリは(ガウリの似姿は)悲鳴を上げたが、かろうじてよろめきを踏みこたえ、声の震えを鎮めて人形女に――ここの女主人に呼びかけた。
「あなたに――会えると思っていたわ。この場所のことを知って、ああ、あなたはぜったいここにいるって確信したの」
 黒い長い髪。白いコートをマネキンのような肩に羽織っている。その下はどうやら全裸だった。乳白のなめらかな肌に切り傷と打撲のあとがくまなくレイアウトされている。
 人形のような――というのは、あくまでその女の人間離れした美と均整のためだ。全身の質感は、まぎれもなく体温と匂いのある人間のものだ。裂かれた皮膚のふちも、青と黄の混じった打撲痕もまた。
「こんにちは。そして、ごくろうさま。よく見つけたわね。カイルだってここを見つけるにはとても苦労したのよ」
「それは簡単よ。解読したのはカイル。わたしはかれのメモを探しただけ」

あるいはこんな一場面。ガウリとたがねの対話。

 ガウリは長い指先で、胸元から生えだしたちいさな芽を順番に愛撫した。
「そのながめは猥褻だよ。朝から見物するにはさ」
「ほんものの汎用植物なら薬剤で刺戟する。こっちはじぶんのコンセントレーションの道具として使うの」
自己啓発みたいな?」
「そこまで実利的ではなくて、そうね、お香を焚くのに似てるかな。なにか限られた感覚に集中して、心的なノイズをカットする。集中がうまく行くと芽がうまく成長していく」
(中略)
「それが、お守りなの」
 たがねはデスクにつき、画面を立ち上げながら聞いた。
「ええ」ガウリも同じことをした。仕事がはじまる。「ほかの人の欲望に染まるのがいやだから」
「お香を焚いて、他人の匂いを締め出す」
「ええ」

最後のパラグラフはこんな感じ。

 噛みあとの残る鉛筆を走らせ、たがねはいいかげんなメモを一枚、ガウリにくれてやった。

70歳くらいになったら、これを完成させて私家版を作ってみようかな。

*1:ちょっとアップルストア入っています。(笑)