腕をふりまわす

小学生の飛は、ちょっと知られていました。登下校に奇妙な行動をしていたので。
客観的に観察すると、両手をせわしなくかちゃかちゃと振り回しながら、口ではぶつぶつとわけのわからないことをつぶやいてる……というぐあい。この奇行は登下校のあいだじゅう、ひっきりなしにつづき、どうかすると体育の時間のひまな時にもぶらぶら歩き回りながらこれをやっていたと記憶しています。
つぶやきは「ぶつぶつ」というとりは「ぴ、きしゅー、だだだっ、どきゅー、ぴぴっ」などと表記した方がより正確でしょう。
主観的に言うと、飛は即興的に脳内アニメを制作&上映していたのだと思われます。どんな内容だったかもちろんぜんぜん覚えてはいません。たぶんありものの番組のパーツを適当にシャッフルしたりザップしたりしながら、自分にもっとも快楽を与えてくれるフッテージをつぎからつぎへと作っていたのでしょう。紙の上でやればよさそうなものなのに、よっぽど羞恥心がなかったんでしょうねえ(笑)、未舗装の田舎道をとぼとぼ歩きながらそんなことをやっていたのです。たぶん5年生頃までやっていましたから、親もさぞ頭痛かったことと思いますが無理に止めないでくれて、感謝です。
きっといま小説を書く時も、これと本質的には同じことをやっているんでしょう。
拙作をお読みになった方ならご承知でしょうが、飛の作品には、「堅固な構成」「きちんとした設計」「明快なプロットやストーリー」などがまったく欠けています。(あるように思った人は騙されているだけです。反省しましょう)ついでに白状すると「緻密な設定」もありません。
かわりにあるのは、その場限りの刹那的な快楽(苦みばしった快感も含む)、ただそれだけです。
一歩一歩足を運ぶことで、口で効果音を発することで、両手で中をかき回すことで、小学生の飛は周囲と完全に隔絶した物語環境をバリアのように構築し、全身を投じてこのうえなく楽しい遊びにふけっていたのです。その記憶が飛をそそのかす。一行一行足を運び、ぎらぎらと輝く液晶画面を凝視し、十本の指を躍らせて、一瞬一瞬に没入する。
できあがった小説はその後にたまたま残されたスタックに過ぎません。