31日(その1)

起床は朝4時半。5時20分にタクシーに来てもらい、松江駅からバスで米子空港ANAはあまり使わないのでいろいろまごつく。
羽田の新しいターミナルを使うのははじめて。飛行機を降りてからバゲッジクレイムまでがとにかく延々と長いのに閉口(たぶん500mくらいはあります)。朝ご飯スポットを探し損ねてそのまま横浜まで。桜木町ワシントンホテルへ到着。この時点で、ホテルを出てくるスジ者多し。荷物を預かってもらおうとするが、じゃらん経由で予約していたのに、端末で確認できないもよう。予約確認メールを携帯に転送しておいたので、それを見せても埒が明かない。いろいろ10分くらいかけて、ようやく予約を確認できました、とのこと。バッグを預けます。
この時点で10時を過ぎておりモーニングブッフェも閉店していたので、下のスタバでサンドイッチ。ホットコーヒーをトールで頼んで、『日本SF論争史』の山野、荒巻、川又論文をもう一回読み返し。うーむ、ふむふむ。うーむ、ふむふむ。
ワシントンホテルを出ると動く歩道はすぐそこ。ビル内の通路をじょじょに歩き進めるにつれスジ者の濃度が上がっていきます。ふと「帰りゃんせ」のメロディーが口をつく。

オタ度がだんだん高くなるーう、高くなる
今来たこの道帰りゃんせーえ、帰りゃんせ

いや、帰ってはいけません。展示ホールで受け付けをしなくては。

31日(その2)

ブログ読者のみなさん申し訳ない。作家クラブ企画の参加者には専用受付があって、さくっと手続き終了でした。「許せん!」という方、どうか下にご記帳ください。すんまへん。
このへんで山岸真さんや、島根の刀匠小林さん、旧友平井さんらと出会う。展示ホールでは山本(夫)くんとバルタンとのツーショットを撮ってあげ、ローカスの売り場にいた小林さんにあいさつし(初めまして)、歴代のヒューゴートロフィーやワールドコンTシャツの写真を撮り、ホールを出たところで笹本祐一氏と奥様にばったり。通路を渡ってコンベンション棟へ。
やはり外人多し。
笹本さんといっしょに「作家クラブ40年史」パネルを覗くも、もう最終盤。すぐにディスカッションは終わり「40年史」の一般頒布会が始まったので退出、3階奥の「グリーン・ルーム」*1へ行くと、巽孝之氏ら数名がテーブルを囲んで打ち合わせ中。アヴァン・ポップ関係と思われました。ここで佐藤哲也氏、粕谷千世氏(初対面)、大串尚代氏(初対面)、そうして笙野頼子氏(初対面)らとごあいさつ。
飛の企画の集合時間は午後3時であり、時間の余裕があったのでここで昼食。6階のカフェテリアで鰻の山かけ丼。飛はものの味は分からない旨、ここで何度も繰り返しているとおりですが、それにしても「ちょっとおいおい……」という感じ。
まあそれでも腹拵えを終えて、階下へ。14時スタートの企画を聞きに。

*1:企画出演者の打ち合わせ、待ち合わせ、休憩、だべり室です。がらーんと殺風景な空間。各種ソフトドリンクとスナックが提供されています。スポンサーはデル・レイブックスだっけか。あと加賀電子の展示もあったでした。

31日(その3)

で、聞いたのがこれ。

やおいパネルディスカッション〜やおいVS.スラッシュ・フィクション J,Y 214418

世界的に同時多発した女子文化……それはやおいとスラッシュ・フィクション。それらに積極的かつ自覚的に係わってきたゲストをお招きし、両者の違いを比較しながらその魅力や不思議に迫ります。

小谷真理,アン・ハリス,エイミー・トムソン,ひかわ玲子,大串尚代,金田淳子,野阿梓,柏崎玲央奈

と言っても120分のうち、50分くらいしか聞けませんでしたが。
開演前に各氏にごあいさつ。特に野阿さんは既報のとおり、ついに『伯林星列』の刊行が来年1月に予定(徳間書店)されているのでおめでとうございますー、など。
印象に残ったこと。

  • 海外作家がスラッシュ開眼を果たした時のことを回顧するときの、とってもとっても恥ずかしそうなようす。アン・ハリスとかみるみる顔が真っ赤になり、その話を隣で聞いていたエイミー・トムソンが自分の肩に爪を立てて「うきゅきゅー。>_<」と悶絶していたり。

(感想:漠然と考えていたものが目の前に具体的な作品として提示されたとき、世界が一挙に結晶する。それはまさにSFの感覚ではなかろうか。)

  • 対照的に国内の若手、金田、大串ラインは比較的平然と。「だが、それがいい(爆笑)」

(感想:ひかわ、小谷くらいになるとやはり葛藤が垣間見える。We are not alone!とか。)

(感想:読者の欲望が少年漫画へなぜ踏み越えたのか、そこを知りたかった。パタリロは重要な特異点かも知れない。作者が男性だし。それともそれは広く認識されているのか。飛はそのあたり暗いのでよくわかんない。)
話が佳境にはいりそうになったところで、時間となり、退室。無念。

31日(その4)

企画打ち合わせのため15時にグリーンルームに戻ると、井口健二氏や北原尚彦氏らに混じって、野尻抱介氏が「いや〜、どうも今回はすみません(にこにこ)」と。そう、この時点では星雲賞の結果を我々ふたりは知っていたのです。
ムキー!とか思ったりはもちろんなくて、この機会だから書いておきますが、飛は「大風呂敷と蜘蛛の糸」の大ファンなんですよね。ことあるごとにいろんな人にそう言ってきました。いやほんと、あれは素直に素晴らしい。しかし野尻氏と会うのはJコレシンポジウム以来だからもう五年になるのかな。
で、まあ海外SF人の体型などについて感想や、住みたくない世界はどこか*1などを述べあったりしているうちに、背後から声をかけられると、それが「ニューウェーヴ/スペキュラティヴ・フィクション」パネルの出演者たちでした。
山野浩一氏、荒巻義雄氏、そしてニューウェーブの同時代人であるグラニア・デイヴィスさん(アヴラム・デイヴィッドソンの妻であった方)、司会の増田まもる氏、スタッフの尾山ノルマ氏。
荒巻氏からは私家版のとてもきれいなブックレット「ゴシック」を戴きました。表紙をひらくと351部中の163部であることが分かります。ちらりと覗き読むに、氏独自の美的強度の高い小品が収められているようす。上品な函におさめられ、全体としてまるで版画のポートフォリオのような印象。まさに荒巻的世界。わお。
そして内心びびりつつお会いした山野氏は、闊達なしゃべりとエネルギー。切れ味鋭そう。テーブルの上に、氏の家から発掘された「NW−SF」のバックナンバーや『レヴォリューション』などが積み上げられています。グラニアさんと往時の話をいろいろとされていました。
そしてグラニア・デイヴィスさん。はずかしながら今回まで、グラニアさんの人となりをあまり存じ上げなかったのですが、なんというか素晴らしく温かみのある、ヒューモラスなニュアンスがまわりに立ち昇っていて、すっかりファンになりました(はあと)。離婚後も、デイヴィッドソンの人と作品を支えてこられた方であります。『どんがらかん』持ってくれば良かった。
川又千秋氏が駆けつけてこられ、グラニアさんの夫君も含め、全員で会場へ移動しようとした、まさにそのとき。グリーンルームに入って来たのは、誰あろう、デイヴィッド武林その人であった!
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しかし、まだ初日の出来事を半分も書いていないのですが、いいかげんへとへとです。まだ、読みたければ書きますが……?

*1:上位は筒井作品が独占

31日(その5)

異様にフレンドリーなブリンとバイバイして、パネル「ニューウェーヴ/スペキュラティヴ・フィクション」へ。
このパネルは日本SF作家クラブの主催企画ですが、回顧というよりはむしろ未来志向の企画でありました。
というのも現在、日本のニューウェーヴ作品が海外に紹介され、注目をあびつつあるからです。
企画当日に紹介されたのは、日本の小出版社「黒田藩プレス」がこのほど刊行した「Speculative Japan」。内容はリンクさきを見ていただくとして、本書にはこの日のパネラである山野浩一氏の「鳥はいまどこを飛ぶか」が収録されており、それがまさにLocus誌最新号のコラムでも取り上げられているのです。そして、この本の編者のおひとりが、そう、つぎなるパネラのグラニア・デイヴィスさん。「Speculative Japan」は続刊が予定されており、そこには荒巻義雄氏の「Soft Clock(柔らかい時計)」が収録決定。
さらにさらに! 最後のパネラ、川又千秋氏のSF大賞受賞作『幻詩狩り』がミネソタ大学出版会から全訳で出版される運びに!
というわけでいまようやく日本のニューウェーヴSFの果実が英語でも読めるようになってきたその現状を視野に入れつつはじまったこのパネルは、

  • ニューウェーヴ勃興期の英米SF界のようすをグラニアさんが語り、
  • 日本への移入の状況を山野氏が語り、
  • 山野氏の論文「日本SFの原点と指向」に対抗して荒巻氏が投入した巨大兵器「術の小説論」の効用が語られ、
  • 川又千秋氏が「明日はどっちだ!」を経てどのような最終結論に至ったか(「SF入門」を読もう)、やSFとはシュールレアリズムの発現形態のひとつだ、という見解が述べられていきます。

聴衆には、巽孝之氏、ジーン・ヴァン・トロイヤー氏、グラニアさんの夫君、米国の編集者スコット・エーデルマン氏、柳下毅一郎氏、東京創元の薙刀二段の編集F氏、森下一仁氏、野阿梓氏と、どっちがパネラかまるで分からない特濃環境。
森下氏の質問に答えて山野氏が明かした、伊藤典夫山野浩一+森優の企みであるとか、野阿氏の質問を契機にグラニアさんが語るディックの人となり、そしてディックと日本が未来で交差すると言うイメージ、山野氏が会場の質問に応じて「日本SFはもっと僕を主流文学との接点として利用すべきだった」という発言、などなど、などなど。
なんにせよ、飛が一番驚いたのは、荒巻氏と山野氏のヴァイタルさです。とくに荒巻氏は自作をまだまだもっともっと多くの読者に届けようとしている。読ませたくってしょうがない。氏のプロ根性に身の引き締まる思いでした。
パネルの模様は、いずれどこかで何らかの形でまとめられることになるでしょう。
出演者のあいだでは終了後にも、いろいろアイディアが交わされています。 
日本のニューウェーヴがいずれまったく新しい形で〈再発見〉される、そんな可能性を提示したパネルだったでしょう。それがワールドコンに埋め込まれていた意味に十年後ぐらいに皆が気づく、という展開を想像しました。企画者の戦略性に敬意を表します。
パネルが終わって外へ出ると、山野氏の著作をめぐって大争奪戦が起こっていたり、『日本SF論争史』(パネラ三人の論文が収録されています。)がなぜか一冊2,000円で売られていたり。
森下一仁氏からはこんなチラシをいただきました。アルカンを弾くなんて凄いぜ。

31日(その7)

てなわけでいろんな人といろんな話をして楽しかった!
パーティーでは2次会もアナウンスされていたものの、翌日に大きめの企画に出ることもあって、ここは自重。
会場のインターコンチネンタルから、なんとなく難波弘之氏といっしょに外へ。いつもながらにこやかでジェントル。飛が迷わないようさりげなく声をかけてくださって、感謝。
途中で分かれ、飛は(やっぱり少し迷った)動く歩道を通って、桜木町へ。観覧車を背に写真を撮りあっている外人さんの群を発見。「お撮りしましょうか?」と声をかけて、ぱちりとデジカメ――デジカメ……? あああ! これはiPhoneじゃないすか!
というわけで、iPhoneをさわることができました。いいでしょ。
外人さんたちはワールドコンの参加者。飛も(英語はぜんぜんだめなので)SFWJとNippon2007のカンバッジを見せて微笑みだけを送っておきました。(笑)

31日(その8)

で、桜木町ワシントンホテルへようやくたどりつき、チェックインしようとしたら、またしても予約の確認ができないようす。朝、あんなにてこずっていたのでもしやとは思っていたものの、くたびれているので「朝確認とれてるじゃんよー、早くたのむ」という気分。
どうしても確認できないようすで、それでもお部屋はお取りします、と言う展開で収束しそうになり、そこでフロント奥の事務室から一枚のプリントアウトが差し出され、なんとか事無きを得ました。この間、約10分。くたびれました。
じゃらんのシステムに問題があるのか、ホテルのほうに手抜かりがあるのか、飛がなにかへまをやったのか、説明がないのでわからず。
さあ、あすは、午後は5時間にわたる瀬名企画への出演やヒューゴー賞授賞式の見物があり、午前も見たい企画があったりするので、早く寝ましょう、と思いつつ携帯でミクシィの日記をながめたり。みんな楽しそうです。この近くで何百人もが書き込んでいるのだろう、と想像しつつ就寝。